「所有者不明土地」というパラリーガル時代のトラウマ
所有者不明の土地が国内にたくさん存在し、そのせいで莫大な損失が発生しているとのニュースが、新聞各紙にて報道されました。
前職(パラリーガル)の頃、まさに当事者として頭を悩ませていた問題です。
ニュースの表題を見た瞬間に、背筋が凍りました。
個人レベルではあまり困らない
土地の所有者が特定できなくても、個人レベルでは困りごとはあまり発生しません。
自宅の隣に所有者不明の土地があって、そこから異臭が発生していたり、倒壊寸前の建物が建っていたり、雑木が生い茂っていて害虫の温床になっていたり……いろいろな問題が考えられますが、これらは所有者が特定できなくても、行政や、最悪自分でなんとかできるレベルの課題です。
土地所有権にかかわる問題ではなく、対策に要するコスト(本来ならば土地所有者が負担すべきもの)を誰が負担するか?という費用負担の問題で、
一方、本当に困るのが、所有者不明の土地をだれかが取得しなければいけなくなる場合です。
使いたくても使えない
所有者不明の土地を取得しなければいけないケースとして、報道でも公共工事が取り上げられています。
道路や河川護岸など、公共工事で土地の上に頑丈なもの(永久工作物)を作る場合には、原則として設置する土地を購入して公有地としなければいけません。所有者不明の土地であっても同様です。
特に川辺や海辺の土地は、どこまでが川や海の一部なのかが不明確な場合が多く、本当は民有地なのに存在に気付かれず、登記がされずに放置されてしまったケースがよくあるようです。
※川や海は、国有地という扱いです。
川幅の拡幅など大規模な工事が行われていれば、川沿いの民有地と川(国有地)の境界をしっかり確認しているでしょうが、工事の手が加えられていない田舎のほうでは、公図上は境界線が引かれていても、その線が現実世界のどこを指すのかがわからず(杭などの目印が無い)、事実上境界が確定していないところも存在します。
所有者を探しても見つからず、どうしようもない場合は土地収用法に基づく強制収用もできますが、非常に時間がかかりますし、「収用」という言葉自体が強烈なため、反感を抱く人も少なくありません。極力採りたくない手段でしょう。
パラリーガル特有の困りごと
関係者(所有者である可能性がある人間、相続権があるかもしれない人間)の洗い出しや交渉は、パラリーガルの仕事です。
詳しいことは書けませんが、生身の人間との交渉はもちろん、登記上の所有者が既に死去していて相続関係が複雑で整理しきれなかったり、そもそもだれが相続権のある人間なのかが特定できなかったり……机上の作業もとても大変です。
A0サイズの細かい家系図をつくって、電話帳なんかで連絡先を確認して、電話と手紙で警戒心を解いてから直接会って判子をもらうことを繰り返していくわけですが……最後まで集めきれず徒労に終わることもあります。
「財産権の保障」は憲法にも明記されていて、歴史を振り返ってみても絶対必要な条項ではあると思うのですが、土地に限らず、これからは財産権をいかに放棄するのかも、法的に整備していく必要があるのかもしれません。
土地の登記自体、少なからずお金がかかりますし、持っていれば税金もかかります。運用できないのであれば、所有者不明状態にしておくのが最も(個人レベルでは)経済的です。
土地=財産、とは言い切れなくなり、個人レベルと社会レベルで最善の選択肢がはっきり異なってしまう現状を受け入れて、制度設計を考え直さなければいけない頃合いなのでしょう。
これまで、国の土地の所有者不明問題への姿勢は、「根本的な対処はしないから、困ったときに随時現場で対応してね」というスタンスで、予算も人員も用意されていなかったはず。
現場は本当に困っているので、なんとかならないでしょうかね……