長狭物

社畜による情けない日々

社畜的文章に慣れ親しんだせい?で高校受験の問題文が理解できない

友人が脱サラして学習塾を開くということで、陣中見舞いも兼ねて準備を手伝ってきました。

新興の住宅街に近接した、中高生向けのアットホームな塾にしていきたいとのこと。

圧倒的に強い大手予備校が無い田舎なので、既存のカリキュラムをこなすタイプのスタイルではなく、学校や他の塾の補完的立場を開拓していく方針らしいです。

 

 

 真新しいオフィスには学習参考書がたくさん並んでおり、いかにも教材研究の真っ最中!といった雰囲気でした。

つい懐かしくなって、一番手元にあった高校受験問題集を紐解いてみたのですが……

問題文の意味が全然読み取れなくて、愕然としました。

 

加えて、意識的にゆっくり読めば理解できるのですが、理解した内容が次々頭から抜け落ちて、何度も読まないと全体を理解できないのです。

 

社畜的には、読み手が文意を一発で理解できないのは書き手が悪いという考え方が常識なのですが、学校の試験では問題文を読み解く力も試されている、つまり文意を理解できないのは読み手の能力不足なのでしたね。久々に思い出しました。

 

子どもの書籍離れが叫ばれている一方で、インターネットのおかげで文章を読む時間自体は減っていないという主張も見かけますが、インターネット上の文章は社畜的発想(読み手に配慮した読みやすい文章を意図)で書かれることが多く、こちらばかり読んでいても読解力は鍛えられないような気がしてきました。

 

勿論、書籍の文章であればすべて読解力を鍛えられるわけではありませんし、その逆(インターネット上の文章ではどれも読解力養成には役立たない)も違うとは思いますが、傾向として。

 

さらに、当方社畜としても、社畜的文章だけを読み書きできれば事足りるわけではないので、しっかり読まないと理解できないような骨太な文章に触れる機会を意図的に増やさないとなーと思いました。